感想ノート

観劇の感想など。一部ネタバレしてます。

地球ゴージャス「The Love Bugs」

地球ゴージャスの最新公演「The Love Bugs」を観てきた。先々週。


私は基本的に箱推しは不可能だ、人間である以上必ず誰かを贔屓してしまうという認識をもっているのだが、実は以前よりアミューズに関しては箱推しに近い感情を抱いている。
なので、誰が出てようと自然と地球ゴージャスを観るようになり、アミュメンが出ている作品は極力追いかけている。そして、12月1日にAAAというチャリティイベントで五朗ちゃんと寺脇さんのイチャイチャを見て、去年はなかったけど年末にハンサムで盛り上がるのが、私の師走スタイルとなっている。
 
とはいえ、箱推しといえどやっぱり特別な存在というのはできてしまうものだ。私もなんやかんや3人ばかりのアミュメン贔屓してしまっている。
 
ひとりめは桜田通くん。私がアミュメンを幅広く愛しく思っているのは、通がアミュメンを愛しているからである。そして、通はアミュメンを愛してるのと同じくらいアミュメンのファンを愛している。きちんとそう信じさせてくれる。だから、私も通の信じるアミュメンを信じている。アミューズは最高の事務所だと信じるのである。通かわいい。ファンイベントなんとしてでも行くからね。
 
もうひとりが、通と正反対でちっともファンへの気遣いをしてくれないツンツンツンの橋本淳くんだ。通称あっちゃん。かれこれ、推しちゃん以上の付き合いとなる。まあ、彼に関しては特に「ファン」になるメリットはないと思う(笑)観に来てくださいとかあんまり言わないし、正直関係者の皆さんチケットの取り置きはお早めにとツイートした時は殺してやろうかと思った。バレンタインにスタッフの女性陣にもらったプレゼントを披露したときも殺してやろうかと思った。たぶんあっちゃんは私みたいなタイプの客は嫌いなんだと思うけど、少しくらいはこの乙女心を理解してほしい。
それでも、まぁなんだかんだでこの人の芝居は観てしまうのだ。人たらしめ。きっと、10年後もあっちゃんの芝居を観てるんだろうなと思ってる。ちなみに、あっちゃんの芝居を観るときはいまだに赤い服で行く(マジレッドだから)。あと本人は黒歴史だと思ってるだろうけど、私は彼の伊作を最高に愛している。かわいいから。
 
そして、最後が平間壮一くんだ。通称、壮ちゃん。今回の地球ゴージャスではメインキャストに大抜擢されたのだ。この話が今回はしたくて筆をとった。
 
私の中の壮ちゃんはずっとダンスがうまいちっちゃくてかわいい子だった。もちろん大好きなんだけど、それ以外の表現を見つけられずにいた。でも、ここ数年で劇的に変わったと思う。ダンスという金棒を持っているだけのただの人だった彼が、歌も演技も力を入れて鬼になろうとしている。確かに、レディベスあたりまでは歌は課題なはずだった。でもRENTでおや?思い、今回の地球ゴージャスを観て、このまま行けばミュージカルをちゃんとやっていける気がした。ミュージカルという道を選んでくれてることはうれしかった。
壮ちゃんは今でこそ大人気メンバーだけど、近い年齢の中でははるたけ、ドリタク、戸谷水田の後4番手以下くらいに位置していた時期が長かった。宝塚でいうと階段降りできるかできないかの瀬戸際あたりにいたと思う。でも、ダンスしか興味がなかった壮ちゃんが、テニミュのオーディションをすっぽかした壮ちゃんが、ミュージカルという世界に気付いて、頑張って、そしたら仕事が途切れなくなって、今アミューズの舞台でセンターに立ったのだ。原石が磨かれていく過程を目にできていることに、震えている。
 
The Bagsで彼が演じているキャラクターは、まるで壮ちゃんのこれまでをあらわしているようで、胸がいっぱいになった。羽をもがれても、彼は前に進んでくれるらしい。我々ファンも彼の決意をきちんと受け止めて、彼の新しい羽になれるように応援していかねばと気を引き締めた。 
 
そのほかの感想だが、いつも通り五朗ちゃんも寺さんがかっこいいおじさんだった。しろたんもいつも通り大きかった。ただ、蘭蘭コンビに萌えまくってた身からすると、まゆさんとしろたんがくっつく展開は落ち着かなかった。櫻子ちゃんはとっても可愛かった。猪塚氏がなかなか目立ってて感動した。対してゆうちゃんはどうしちゃったのかなと思った。バックでもいい仕事をしてるんだろうけど、探さなくても気づける位置にいてくれないとちょっとさみしい。
何はともあれ、一言でいえばやっぱり楽しかった。観る前は結構内輪ネタが多いと批判されてたけど、許容範囲だったと私は思う。五朗ちゃんの思想が色濃くでるシーンは、まぁいつものことで、いつもふむふむと思ってるのだけど、少しいつもより濃くて長かったかな。しかも今回しろたん死んでて、完全なハッピーエンドじゃないので、それもあってこうモヤモヤしたのはある。もう一回観たら、もうちょっとしっくりきたのかなぁ。うーん、でも私はゴージャスにお祭り騒ぎ的なものを求めてしまっているところがあるので、そういう意味ではちょっとハッピーエンドじゃないのは辛かったかなぁ。
 
そんなかんじです。
とりあえず言いたいのは、アミューズっていいよねと言うことと、壮ちゃん最高ってことですかね、やっぱり。

シャカリキファイトブンブン

テニミュ3rdシーズン、山吹戦を観劇してきました!最近では事前情報をチェックできていないので、前日に木村達成ブログにて、シャカリキファイトブンブンの存在を確認し、混乱しながらの観劇となりました。ちなみに、私のような鈍いタイプにはちょっと早くてむずかしかった…。要練習。テニミュサイコーセイヤーでさえ、ワンテンポずれていた私には、なかなかの試練である。ネルケさんにはシャカリキファイトブンブンへのプレッシャーで若干観劇中の集中力が下がるので、次回から難易度の引き下げを要求したい。

先に芝居外の話をしてしまうが、ルドルフ戦に続きお見送りもあった。あと、抽選でTSC会員の握手会もあるそうだ。この件について、賛否両論があるようだ。私は実は本来はこの手の類は苦手なんだけど(緊張のあまり何も声かけられないし、平日夜公演はちょっと早く帰りたいから。笑)、でも概ね好意的に受け取っている。
と、いうのも、気付いたからだ。青春時代を原作のテニスの王子様の連載とともに過ごしてきて、許斐剛とその子供たちへの忠誠心の強い私たちのようなお姉さんたちとちがい、今の若いファンは連載終了後に、この作品に出会っている。だからこそ、テニミュを永遠に続かせるためには、原作を知らない若い世代の取り込みが必須であり、それがキャストとの触れ合いなのかな、と。私達はキャラクターを通してキャストを知っていくという流れだったけど、若い子はキャストを通してキャラクターを知っていくんだと思う。その中で原作にハマって、先生に忠誠を誓う子も出てきてるだろうし、それはとても喜ばしいことである。

あとお見送りに対して思うことは、感謝しあいたいねということ。特に夜公演の終演後なんて、向こうもお疲れだし、こっちもお疲れじゃん。金曜日の死にかけの私は、たぶんいつもの3倍ブスだった。だけど、可愛いキャストさんが「来てくれてありがとうございます」と言ってくれるのは最高に来た甲斐がある。嬉しいし可愛いし肌綺麗だし、失神するかと思ったね。失神しかけたあと思ったけど、あの子達も終演後だからお疲れだよね。21時30分から1000人の客を見送って、着替えてメイク落として、おうち帰って、あの綺麗な肌のメンテナンスをするんだよ。私は化粧落としシートだけでベッドに飛び込んでも、翌日私が泣きたくなるだけだけど、あの子たちは商売道具だからね。深夜に帰宅しても、きちんとお風呂はいってクリームを全身に塗るのだろう。そう思ったら、きちんと目を見て「ありがとうございました。」と「楽しかったです。」と言いつつも、少しでも流れを止めないように、俊足で立ち去ることが大切な気がしてきた。

長くなったので、中身の感想はまたあとで書く。かもしれない。たぶんかわいいたのしいうれしいしか言えないけど。

君のいない1年間

5年間ずっと私の世界の中心にいた人が、姿を消した。
去年の今日のことだった。
今でもまだ信じられなくて、たまにブックマークから消せてない彼のブログのアドレスを押す。もちろん、開いたページにあるのは「お探しのページは表示できません」という言葉で、やっぱり本当なんだと痛感する。

彼はいわゆる「若手イケメン俳優」だった。きっと、本人はそう言われるのを心底嫌っていただろうけど。でも、事実若手俳優で顔もイケメンのほうなのだから仕方がないじゃないと私はずっと思っていた。ファンにとっては推しが世界一かっこいいのだ。

彼は2.5次元ミュージカルがここまで大きくなる少し前くらいに、そういう作品に出始めて、私はそこで好きになった。アニメのキャラクターをそのまま演じるのではなく、自分なりの解釈で、舞台でしか表現できないキャラクターを演じたいというのが、彼のモットーで、私はそういうところが大好きだった。(言葉が足らないことが多くて、たまに誤解を生んでたけど、そういう不器用なところも好きだった。)

そうやって、多くの若手俳優と同じように、登竜門と呼ばれる某ミュージカルに出演して、卒業して、少しこれまでとは毛色の違う作品に出始めて、これからというタイミングで、去年の今日、事務所を辞めた。引退は明言はしていない。でも、今日まで音沙汰はない。だけど、私は帰ってくると思っている。もちろん確証なんてどこにもないので、これは私のファンとしての第六感がそう告げているというしかない。帰ってくる。

でも、それでもこの1年間はとても辛かった。
最初の3ヶ月くらいは、関係ないのはわかっているのに、自分を責めた。

実は予兆はあったのだ。
辞める前の最後の1年は、他の事務所のイベントのゲストが1回と、自分の事務所の1週間のイベントと握手会しか仕事をしなくて、ブログは2月で止まっていた。

それにもかかわらず、実はその年の春から夏にかけて、私は初めて他の子にうつつを抜かしていた。アイドルだった。
具体的には書かないけど、握手会が頻繁にあって、すぐ顔も名前も覚えてくれるのが嬉しくて、一生懸命会いに行った。だけど、楽しいのは最初の2ヶ月だけだったと思う。会いに行けば行くほど、もっともっとと求められるのが苦しかった。周りのファンとのファンサービスを競い合うのが面倒だった。そのうち、知りたくもなかった彼のプライベートが流出した。

結局、アイドルくんに出会って半年も経たずして、私はついに限界を迎えて、ファンを辞めたのだった。ステージの上で歌う姿に惹かれただけなのに、なんでステージの下のことで悩んでるんだろうと悲しくなった。

思えば彼は、私の知る限りファンを特別扱いしなかった。ファンの名前は絶対に呼ばない。たぶん全員の名前を覚えるのは不可能だからなんだと思う。かわりに握手会のときは、みんなに「ありがとうございます」と言う。腰を低くして、目を合わせて。ブログでも私たちのことを自分のファンとは呼ばない。お客様と呼ぶ。とてもドライに見えるけど、私はそんな潔い彼がとても好きだった。ファンに優劣をつけないのが彼のファンへの愛なのだと思ってた。ちなみに、プライベートが流出したこともない。アイドルちゃんのファンは2ヶ月で苦しくなったのに、彼のファンになってから6年経った今日まで、私は彼のファンで嫌な思いをしたことがない。

彼の最後のお仕事は握手会だったんだけど、そのときはもちろんまだ事務所やめることら知らなかった。だから、ありがとうって言えなかった。ちょうどアイドルにうつつを抜かしていたので、アイドルの握手会と同じで10秒くらい喋れる気でいたら1秒しかなくて、名前も呼べなかった。たぶん、流れが速すぎて彼も何も言ってこなかった。

だから、辞めるのを知ったとき、すごく後悔した。全然1ファンである私のことなんて関係ないところでことが進んでいるんだけど、だけど、私にバチが当たったんだと思った。芸能界、なかでも彼のいた若手俳優界なんて、流れが速すぎて、確実に次があるなんてわからないといつも思っていた。だから、ひとつひとつのお仕事といつもきちんと向かい合ってきたつもりでいた。…いつもきちんと向かい合っていたかった。ずっと向かい合ってきたのに、あの握手会の日、一瞬目を離してしまった。そしたら、もう目の前にはいなかった。

彼はいい景色を見せてくれてありがとうと言っていなくなった。それは、ランキング形式の某舞台で、彼が1位になったときに言った言葉と同じだった。そのときはまた見たいと言っていたけど、今回は見たいとは言ってなかった。でも、もう見ることはないとも言わなかった。

言わなかったから、信じることにした。帰ってくる。必ず。だって彼はいつも、板の上でお客様をお待ちしていますと、私たちに言っていたから。(続けて、だから仕事や学校がある人は無理しなくていいよと言ってくれる優しい人なのだ。)

そして重い重い愛を誓った。もう誰のファンにもならないと。一瞬でも目を離したくないと思ったのだ。


というものの、とにかく彼のいない人生は暇すぎて、他に趣味もないので、結局この1年間も芝居ばっかりを観ていた。
前からのお気に入りの役者さんだったり、初めましてだったり、いろんな役者さんを観て、また観たいと思う役者さんも何人かいた。だけど、彼にしたように手紙を書く気になれなかった。他の人のファンにならないという誓いを破ったら、彼に二度と会えない気がした。
あと、誰かのファンになるのが怖かったのだ。だって、私たちファンと彼らの関係は永遠ではないと知ってしまったから。彼らが役者をやめると決意してしまえば、もう私たちはなにもできない。

そうして、今日を迎えた。


結論から言うと、壮大なことを考え、えらそうなことを誓ったくせに、私は先日他の子のファンクラブにちゃっかり入った。薄情者だと思われるかもしれない。でも、私はどうしてもその子の未来がほしかった。その子にずっとこの世界にいてほしいと思った。そのときに、自分にできることは、やっぱりお金を出すことしか思いつかなくて、それがファンクラブの会費だった。


今年も若手俳優界含め、いろんなジャンルでファンと芸能人の別れがあったと思う。その度に、多くのファンの子が私はなにもできないと泣いていた。去年の私と同じで、こっそりわかるわかると頷いていた。でも、この辛く苦しい1年で少しだけわかったことがある。いなくなっても、いた日々のことは変わらないのだ。

私の大好きな某排球漫画のなかで、某木兎さんがこう言っている。(少しも伏せられてない。)

「その瞬間があるかないかだ。将来がどうだとか、次の試合で勝てるかどうかとか、一先ずどうでもいい。目の前の敵ブッ潰すことと、自分の力が120%発揮された時の快感が全て。……まぁそれはあくまで俺の話だし、誰にだってそれが当て嵌まるワケじゃねぇだろうよ。お前の言う「たかが部活」ってのも、俺はわかんねえけど、間違ってはないと思う。ただ、もしも、その瞬間が来たら、それが、お前がバレーにハマる瞬間だ。」

ファンもそういうことだと思うのだ。
将来がどうとか、いつか辞めてしまうのではないかとか、一先ずどうでもいい。全通したりブロマイドを買ったり、手紙を書いたりして、目の前の舞台で集客力を見せつけることと、舞台上の彼を観ているときの快感が全て。……まぁそれはあくまで私の話だし、誰にだってそれが当て嵌まるわけじゃないだろうけど。「行けないけど応援しています。」も「好きだけどブロマイドはいらない」も「接触以外は行かない」というのも、私にはわからないけど間違ってはいないと思う。私にはわからないけど。だけど、私は快感を知ってしまった。某ミュージカル卒業後のある舞台で、彼が化ける瞬間を観てしまった。そして、交じり合うことはないと思っていたのに、彼とファンが同じ景色を見つめた瞬間に出会ってしまった。もうこの瞬間を知ってしまったから、もう二度と忘れることはできないのだ。脱退しようが、引退しようが、結婚しようが、その瞬間だけは事実で、誰にも侵せないものなのだ。
だから、私は他の子のファンクラブ入り、円という愛の単位で想いを伝えることを再度始めたわけだけど、1ミリも彼への想いは揺らいではいない。例え、帰ってこなくても。いや、帰ってくるけども。

長々と書いたけど、私が言いたいことは結局ただひとつしかない。
どんなにクソ事務所でも、どんなにクソ舞台でもいい。もう空の写真だけのブログでも文句言わない。ツイッターはやらなくていい。カーテンコールのあと真っ先に袖に引っ込んでも怒らない。だから、

だから、

「また、板の上で会いましょう」


テニミュ3rd ルドルフ戦!!!

観ました!!!観ましたとも!!やっとね!!
千秋楽が初日というどこかの某演出家殿に怒られそうなことをしてしまいました。すみません…。そんな今の気持ちはとても清々しく、でも熱く燃え上がっています。こんなにたのしいものがあってうれしい。こんなにたのしいものに出会えてうれしい。まさにテニミュサイコーセイヤーです。

ここから先は箇条書きでいきます。
【前提】
3rdはきちんとキャストブログもチェックできていない初心者です。なので、みなさんには常識であろうことが、よくわかっていないかもしれません。まだ6代目のいたあの頃に心を置きっぱなしなのです…。

①橘さんが作った土台という話。

まずお芝居が、はなまる。(不動峰みんなはなまるだ。) これはもう理屈じゃなくて、こいつらが不動峰だ!と私の心が叫んでいた。みんなが同じイメージを共有して不動峰を作り上げているように見えて、それがすごく心地よかった。そして、その中心にきちんと部長である橘さんがいるんだと、カーテンコールの挨拶で伝わってきた。たった、2公演でチームをこの完成度まで持ってきたのだから、これから先も頻繁に出番を不動峰にあげてほしいと思った。(四天戦とかこれから出る機会もあるよね?)私は、今回のキャストさんのことよく知らないですが、シーズンの序盤に彼みたいなしっかりしたキャストさんがいたことで、いい土台ができたような気がする。同年代の同性の団体できちんと、できてないことを指摘できるのってすごい。自分がストイックじゃないとできないだろうし。


②本田れおまるはすごいという話。

彼はすごい。私のような者でも彼のすごさはわかった。テニミュの面白さ、リピーターの多さの一因にベンチワークがありますが、彼はきちんとそれがわかっている。一瞬も気を抜いてないし、スポットライトがあたってなくてもひとつひとつの仕草を丁寧に演じているのだ。しかもその中には原作にたしかに小さく描かれているコマも含まれているのだ。れおまるのことをよく知るためには、5回は観る必要があった!くやしい!山吹戦で最低でも5回は会いましょうね。


③お兄さんリョーマくんかと思いきや、とてもかわいいというお話。

ふと見せる笑顔を見るたびに、心があったかくなった…。ダンスもうまいし、歌声もとてもいい。演出的に仕方ないのだけど、ルドルフはちょっと不二先輩に持ってかれていたので、亜久津戦のある山吹に期待。


④メタ表現について思うこと。

開演前アナウンスから不二くんがテニミュって言ったこと。ステージに原作本があったこと。オープニングで漫画のイラストとキャラクターの対比演出があったこと。これらには大変驚きました。
なんとなくイメージなんですけど、1stが「テニプリを舞台で再現する」をテーマとしていて、2ndはいかにその「2.5次元ミュージカルをひとつの演劇のジャンルとして認めさせるか」をテーマにしていたように思う。それを踏まえて、2.5次元ミュージカルというジャンルが確立した上で、3rdは「テニミュを作る」がテーマな気がした。私は元来はメタ表現は苦手としていたんだけど(月並みだけど夢から覚めちゃうじゃん)、なんか今回観劇して、これからのテニミュはそれでもいいような気がしてきた。
というのも、普通の2.5次元ミュージカルから一線を画していき、同じストーリーを演出を変えて再演し続けていって、いうならばテニミュ歌劇団」を目指してるんじゃないかなと思って。今回、ルドルフちゃんたちは結構泣いていたけど(お稽古から大変だったのではないかと推察される)、私はスケジュール見る限り橘さんが言ってた「次があるから、不動峰公演の時は実感がわかなかった」という反応が自然のように思う。これって、少し今までと違う気がするんだ。大前提として本公演(大劇場公演)があって、その合間に少数メンバーでライブをする(小劇場公演)、このスケジュールを見る限り、なんだか宝塚に近い気がする。
だから、もしかして、今は永遠にテニミュを上演していくための、骨格作りをしているのかもしれないなぁと思うのです。その流れで、メタ表現が出たり、お見送りだったり(2ndもあったけど)、アンコールの曲がいろいろ混ざったり、いろんな挑戦しているのかもしれない。
そのうち、卒業メンバーでガラコンとかしたら楽しいなぁ。ほぼそのままのメイクと髪型なのに、衣装着て歌うとちゃんとキャラクターに見えちゃったりして、懐かしくて泣いちゃうかもしれないです。

なんだか感想というより考察になってしまった。もちろんルドルフちゃんもひたすら可愛くかっこよく、淳くんの写真を買った。加えてリョーマくんと不二くんの写真も買った。久しぶりにアルバムを買っていそいそと詰めた(笑)
とりあえず、そんな私の言いたいことは、クリスマスシーズンはテニミュと過ごしたい。テニミュサイコーセイヤー!です。


配達されたい私たち

「配達されたい私たち」観劇しました。
友人の影響もあり、一色洋平さんのお芝居は今年ほとんど見ている、気がする。とても礼儀正しく、使う言葉が綺麗な俳優さんで、私は彼の終演後の挨拶を聞くたびに身が引き締まる思いになります。なんて心の汚い人間なんだろう、己はと(笑)原作者であり洋平さんのお父様でもある一色伸幸さんもご挨拶されていましたが、それもまた素敵なご挨拶でした。話し方も穏やかで、聞き入っちゃいました。言葉を紡ぐお仕事をされている人は、紙の上でも声に出してもいい言葉を紡ぐのだなぁと思いました。

さて、まず言いたいことは、泣きました。ひたすらに泣きました。よくわからず泣いた場面も多いんだけど、笑子のお話はなんだか共感してしまい、ただ泣いた。彼女はとても私だった。日々からの逃げ場が必要なのも、たったひとりの友人の存在に救われていたのも、共感した。あと「男と繋がった女は輪郭が変わって、別の生き物になってしまう」という台詞とか(笑)とはいえ、彼女と「りっちゃん」の話はもっと違う大切なお話なのだけど。でも、この笑子というキャラクターがあまりにも等身大で、それって男性が書いてるお話では珍しいから、少し驚きました。この作品の泣き所は多分たくさんあるし、感動するところやこれからの教訓にするところもこの場面ではないんだと思うんだけど、私は改めて共感することによる自分の心の揺らめきほど大きいものはないと感じたので、この笑子のお話を、しかも「りっちゃん」を信じることのできなかったけど思い出を捨てることもできなかった姿を、好きな場面として挙げたいと思う。

あとひとつ残念だったことがあるとすれば。時系列が少しわかりにくかったかなぁ。本を読んでみましたが、本に掲載されてる順番の方がしっくりくるような気がした。冒頭に自殺のシーンを持ってくると、観客はまず疑問符から入ってしまうような。私は結構時系列がわからず混乱してしまいました。

観劇後に、一色伸幸さんが鬱を患っていた経験があることを知りました。ちょうど、洋平くんが輝と同い年くらいの頃に。そのことについて、あれこれ考察するつもりはないし、そもそも第三者か語る話ではないと思う。

というのも、高校生の頃に、大人にこんな話をされたことがあります。
「仲睦まじいと思っていた夫婦がいたが、旦那さんが治らない病にかかったあと、奥さんが家を出て行った。なんと薄情で愛のない人かと思った。」と。
私は、あなたこそなんと傲慢な人だと思いました。だって、ふたりの間のことなど、ふたりにしかわからないのに。奥さんが家を出て行かなきゃいけないような何かがあったのかもしれないのに。そのときに思いました。この人はこういう経験をしたことがないから、言えるのだろうなぁと。

ということもあり、もちろん、私も100%一色親子とまったく同じ経験をしたことはないから、理解できるなんて言わない。言えない。でも、すこしだけ重なる部分がある経験をしたことがあるので、勝手に共感をしてしまったのです。そして、こう思った。どうして、あんなに綺麗な言葉を紡げるのでしょう。冒頭でも書いたように、おふたりの言葉はとても綺麗なのです。人には理解できない苦労や悲しみや怒りや憎しみを時間と共に乗り越えても、私はあそこまで、関係のない第三者に美しい言葉を紡げない。まだ紡げない。もしかしたら「乗り越えたから」でも、「戻れたから」でも、ないのかもしれない。私の知らない時間を、誰も知らない時間がお二人の間にあったのでしょう。だからこそ、知らない第三者の私がこう思うのかもしれません。彼らの紡ぐ言葉は尊く美しいなぁと。

なんだかほとんど芝居の感想ではなくなってしまった…。

朝彦と夜彦

「朝彦と夜彦」観劇しました。

赤坂REDTHEATER、キャパがちいさいので、いつも観たい芝居は完売してて、初めて来ました。
まず、まわりが飲み屋さんばっかりで、目移りしてしまった。ご贔屓ちゃんのファン友達の方はみんなよく飲まれるので、ご贔屓ちゃんがこの劇場さんに出てくれたら、毎晩楽しいなぁと開演までずっと妄想してました。
ロビーも客席も雰囲気よかったです。きれい。ロビーが白くて、客席が黒いんだけど、それがすごくこの作品にぴったり。終演してぼんやりしながら、ロビーに出てきたとき、夜明けのような気分になって、ああ朝が来たなぁと。意図してるのかしてないのかはわからないけど、すごくいいチョイスだなぁと。
 
以下ネタバレ、かつ文章めちゃくちゃです。
 
朝彦と夜彦、ちなみに私が共感したのは、朝彦より夜彦。私も朝彦がうらやましいから。凡庸な幸せを夢見ることができることが、できない人にとっては何よりもうらやましいことだ。そういう、自分には手の届かないものを持っている人はとにかくまぶしい。まさに、夜彦にとって、朝彦は太陽だったんじゃないだろうか。鬱の人は太陽の光を浴びるとセロトニンが生成されて、気持ちが晴れると聞いたことあるのですが、まさにそれだったのではないかなぁ、なんて思いました。朝彦からしたら、そこまでの人間じゃないって気持ちになるかもしれないけど、夜彦にとっては本当にそういう存在だったんだと思う。
 
そういえば、なんどもふたりは名前が一文字違うだけ、出席番号が前後なだけと言っていて、繋がりはないのだと繰り返していた。他者の強調だったんだと思う。パンフレットでも、中屋敷さんは「親友だとしても、他人と完全に理解し合うなんてできない。」と書いてあった(はず)。それはすごく共感した。なかなか、1から10まで人のことを理解できない。そして、1か10をつけること、YESかNOで断定することなんてできない。だから、3で濁す。曖昧におともだちでいるほうが楽だから。だって、人のことはわからないもの。断定したら、そこで関係は終わるかもしれないじゃない。そして、他者をわからないと思うとき、やっぱり私以外は私じゃないんだと当たり前のことに改めて気付く。なんどもなんども。すぐ完全な理解をしたくて、求めて、忘れちゃって、何人かおともだちとやらをなくした。そのうち、私はある程度のことを諦めることにしたのだけど、それはそれでさみしく感じるときもあるのだ。
朝彦と夜彦も、たぶんお互いのことは一生理解できない。夜彦は朝彦の凡庸なしあわせを手に入れることはできないし、朝彦は夜彦の抱えてる闇を理解できることはないと思う。理解できないのに、それでもお互いがお互いのことを、その理解できないものがあるからこそ、その人なのだと認識して、その上でお互い10を求め合う姿は、すごくうつくしいものに見えた。それは、手が届かないからうつくしいのか、理想だからうつくしいのか、わからないけどうつくしくて、たぶん私がかつて求めたことのあるうつくしさだったように思う。
 
あと、丁寧に描かれていたのはすべては「表裏一体」ということ。生と死。善意と悪意。愛と憎しみ。一見反対に見えるもののすべてが、たぶん紙一重であるということ。誰より死にたかった夜彦が、本当に欲しかったのは生きる意味だったんだと思うんだけど、そんなありきたりな言葉では表現しきれないほどの感情を、死にたいという言葉に怯える夜彦から感じて、あのシーンは涙が溢れてしまった。生きる意味を見つけられず死んだ父しか知らない夜彦には、生きることは苦しいことだと認識していた。自分を愛してると言って死んだ父しか知らない夜彦には、愛は永遠に自分を守るものではないと認識していた。生きる楽しさや永遠の愛なんて知らないから、それを理解なんてできなかったと思う。そんな夜彦に、朝彦がくれたものは表面的には別に生きる楽しさでも永遠の愛でもなかったはず。死への誘いと裏切りだったはず。なのに、それが夜彦の心を変えたというのが、まさに表裏一体。夜彦はそのあと、憎しみを覚えて、30歳の誕生日まで生きるのだから。
 
さて、キャストさんですが、まずは桑野こうちゃん。私は、こうちゃんのことはかなり好きの部類の俳優さんで、案外よく観るんだけど、ここまで声が素敵なの気付いていなかったです。特に30歳の朝彦の低音が、とてもよかった。こうちゃんって童顔だと思うんだけど、疲れた30歳の表情もとてもよくて、どんどん魅力的になるなぁって思った。でも17歳の朝彦は本当に太陽なんだよなぁ。時折、未来に何も疑いのない朝彦がこわかったくらい。朝彦は別に天真爛漫なわけじゃなくて、結構本人は本人で悩んでるし、明るくもないんだけど、でも「普通」のラインにいるの。とにかく、「普通」だから、得体の知れないものに見えた。
褒めてばかりですが、敢えて突っ込むとしたら、少し噛みすぎかなぁ。せっかく声が素敵なので、噛むと地声に戻るのがもったいないなと。
 
法月くんのお芝居は初めてでした。(恋するブロードウェイは観たことある。) 想像以上でした。17歳の夜彦、30歳の夜彦、朝彦の妄想夜彦、全部違う夜彦なんです。時代の切り替わり、多分わかりにくいんですけど、夜彦の顔でわかる。全然ちがうから。個人的にいちばん好きなのは妄想夜彦です。妄想夜彦とは言ってるけど、あれが夜彦の願いなんじゃないかなぁ。すこやかに、あの頃と変わらず、太陽のような朝彦でいてほしいという。その場面で、光の中でニコニコしてる法月くんが、今にも消えそうで、なんだかとてもかなしかった。
 
しかし、あまりに、法月くんが儚いから、本当に夜彦は死なず、30歳の誕生日を迎えたんだよね?って、不安になってしまったよ。自殺エンドと生存エンドが平行世界にあって、自殺エンドのときが妄想夜彦で、朝彦は来なかったのに、それでも13年後の凡庸な幸せな世界で生きてる朝彦の幸せを願わずにいられずにいるんじゃないかって、ふと思ってしまった。もちろん、正規ルートは生存エンドで一緒に誕生日をお祝いするの。このときの夜彦はとても人間味があってじんわりする。朝彦が少しずつ、夜彦を暗闇から引っ張って、いまふたりでコーヒーを飲みながら朝焼けを見ているような、そんなやわらかさだった。(※妄想です)
 
最後に、演出の中屋敷さんはすごい。なんかこんな言葉で表現するのはアレなんですけど、「萌ポイント」が一緒だなって思いました。(すみません。)作品の、俳優の、とても綺麗なところを、すごく綺麗に見せてくださるなぁと。俺とお前の関ヶ原とか観に行きたかったんですが、行ってないんですよ〜。もったいなかったな。(え?Dステもやってた?…ふーん…笑)ツイッターで書いてたネタバレツイートを見ても、なんだかとても共感しました。我々には決められない関係性の儚さ…わかります…。
 
原作の菅野彰さんは、初めましてでした。とてもとても作品の雰囲気も好きで、文字を読んでみたいと思いました。調べて買ってみようと思います。エッセイも面白そう。ビールお好きなのかな?ドキドキ。
 
そんなわけで「朝彦と夜彦」を観劇して、久しぶりにぼんやり泣いて、帰ってもぼんやりして、お酒傾けて、文字をしたためるという経験をしました。そうすると、体がほんわかして、疲れがすーっとするんです。スケジュール調整して、もう1回観れるといいなぁ。

RENT

シアタークリエで「RENT」観劇しました。
お目当てはもちろん平間壮一くん(壮ちゃん)である。
元々、彼のことはとても好きで、どこが好きかというと、いちばんは醸し出す雰囲気だろうか。可愛らしくかっこよく、そしてミステリアス。そんな彼がエンジェルを演ると聞いて、とても楽しみにしていたのだ。

とはいえ、私はRENTという作品は今回が初見である。なので、エンジェルも壮ちゃんが初めてのエンジェルだ。つまりよく知らない。
エンジェルはその名の通り天使のような人だよと元々RENTが大好きな人に聞いていたが、観たら結構印象が変わった。壮ちゃん演じるエンジェルは決して聖人ではないように見えたのだ。でも、誰より人に対して愛情深く見えた。この世界は汚れていて、生きにくいとわかっているから、彼の綺麗な言葉や優しさは、偽善じゃなくて、人の心に届くんだなぁって。
ビジュアル面(お衣装)では女装も可愛かったし、青いダウンのお衣装も幼く見えて素敵だったけど、パジャマ姿が印象的だった。ふらふらしながら下着姿になって、コリンズにパジャマに着替えさせてもらう場面が、もうなんとも言えず儚くてうつくしかった。着替えを手伝うって心許し合わないとできないはず。着飾ったものをすべて脱ぎ捨てる姿から、コリンズとエンジェルがどれだけ深い部分でつながりあってるかわかって、とてもうつくしい。そのあと、終わりが近いことを勘付いてるふたりが確かめ合うように抱き合うのがとてもせつない。
この場面はロジャーとミミがラブソングを歌っている脇で、あんまりスポットライトも当たってないところで繰り広げられてるんだけど、うつくしすぎて、せつなすぎて、あちらこちらから聞こえてくるすすり泣きは、きっとエンジェルとコリンズに対してなんじゃないかなって思った。もちろん、私も号泣だった。
あと、彼が出ると観客の雰囲気が変わるのを感じた。みんながエンジェルの登場を待ちわびていたように感じて、身震いしました。
壮ちゃんが化けたなぁとレディベス以後本当に感じていたんだけど、また一皮向けた感じ。次は地球ゴージャスなんだけど、本音はもっと外部で観たいかな。

ほかのキャストで心に残ってるのは、まずソニンちゃん。RENTの登場人物って、正直私には、正直何に悩んでるのか、何にもがいているのかよくわかんないんだけど(これは日本とアメリカの文化の違いとかもあるんだと思う)、それでもソニンちゃんの苛立ちや焦燥感はすんなり心に入ってきた。共感さえ覚えた。ジョアンヌとこれが私なのよ!わかって!と歌いまくるところが好きだ。すごく気持ちわかるんだもん。

あと、村井くんはいつも期待を裏切らず、しかもさらに上を来てくれるんだけど、今回のマークも本当にそれでした。なんというか、何を演じてもぴったりだなぁって思って帰るんだよね。すごいよなぁ。

そんなわけで圧倒されまくりの3時間で、歌もとてもいいし、とても楽しめました!が、それと同時に多分これはRENTファンのためのRENTなのではと感じた。元々、すごくファンの人の呼称があるような作品なのは知ってて、客層もリピーターが多いだろうとは思っていたんだけど、実際観てみて置いてかれることがしばしばだった。今、観劇を終えて、いろんなサイトとかで話やバックボーン、キャラクターについて調べてて、なるほどね〜。あのシーンはこうだったのね〜。と思うんだけど、それってどうなんだろう?いろんな芝居で思うけど、もう少し初見の人にも優しくお願いします。
そのほかの感じる違和感は、多分文化の違い。そこを埋めてくれるとわかりやすいけど、そうするとパワーが足らなくなっちゃうかもしれないし、このままでいいのかな、なんて思ったり。

なにはともあれ、すごく刺激的な舞台で圧倒されました。また上演されるときは、ぜひとも観劇したいです。とりあえず、借りた映画版のCDをウォークマンに落として聴きます。

と、ここまで観た日(10/8)に書いて、止まっていたのですが、じわじわとハマっている。しょっちゅう曲聴いてる。日本語版も出ればいいのに。RENTファンの皆さんもこうやってハマっていったのだろうか…。
特にテーマ曲(だと認識している)のSeasons Of Love が好きです、やっぱり。歌詞もすごい心に刺さるものがある。


Five hundred twenty five thousand six hundred minutes
52万5600のこのときを
Five hundred twenty five thousand six hundred minutes
どう数える一年を

夜明け、夕暮れ、真夜中、
コーヒーの数、
笑いや、争いの数で


とても辛いことがあった日、これを聴きながら電車に乗って泣いてしまった。本当にさ 、どう数えよう。何で数えられるんだろうって真剣に考えた。数えるものによって1年の印象がぐるっと変わるんだろうな。
今年はなんだか駆け抜けるように終わりそうで、もったいない。あんまり観劇もできなかった。マッサージの数のほうが、たぶん多かった。来年はチケットの数で数えたいな。できれば、推しのチケットの数で。早く帰ってきてくれ。

実はこの歌の詞は、愛で数えてみようと続く。最初聴いたときは、愛かよ!となり、数えられるか!と思った。でも、チケットも愛だし、遠征の数も愛だなぁと思い始めた。そうなってくると、一番くじを引いた回数も愛だし、アニ◯イトのポイントの数も愛かもしれない。私が、大切にしているものや好きなものは、みんな愛だと思うことにしよう。そう考えるとこの1年も愛に溢れていたように思える。そして、ちょっと気が早いけど、来年もたくさんの愛に溢れますように。