感想ノート

観劇の感想など。一部ネタバレしてます。

配達されたい私たち

「配達されたい私たち」観劇しました。
友人の影響もあり、一色洋平さんのお芝居は今年ほとんど見ている、気がする。とても礼儀正しく、使う言葉が綺麗な俳優さんで、私は彼の終演後の挨拶を聞くたびに身が引き締まる思いになります。なんて心の汚い人間なんだろう、己はと(笑)原作者であり洋平さんのお父様でもある一色伸幸さんもご挨拶されていましたが、それもまた素敵なご挨拶でした。話し方も穏やかで、聞き入っちゃいました。言葉を紡ぐお仕事をされている人は、紙の上でも声に出してもいい言葉を紡ぐのだなぁと思いました。

さて、まず言いたいことは、泣きました。ひたすらに泣きました。よくわからず泣いた場面も多いんだけど、笑子のお話はなんだか共感してしまい、ただ泣いた。彼女はとても私だった。日々からの逃げ場が必要なのも、たったひとりの友人の存在に救われていたのも、共感した。あと「男と繋がった女は輪郭が変わって、別の生き物になってしまう」という台詞とか(笑)とはいえ、彼女と「りっちゃん」の話はもっと違う大切なお話なのだけど。でも、この笑子というキャラクターがあまりにも等身大で、それって男性が書いてるお話では珍しいから、少し驚きました。この作品の泣き所は多分たくさんあるし、感動するところやこれからの教訓にするところもこの場面ではないんだと思うんだけど、私は改めて共感することによる自分の心の揺らめきほど大きいものはないと感じたので、この笑子のお話を、しかも「りっちゃん」を信じることのできなかったけど思い出を捨てることもできなかった姿を、好きな場面として挙げたいと思う。

あとひとつ残念だったことがあるとすれば。時系列が少しわかりにくかったかなぁ。本を読んでみましたが、本に掲載されてる順番の方がしっくりくるような気がした。冒頭に自殺のシーンを持ってくると、観客はまず疑問符から入ってしまうような。私は結構時系列がわからず混乱してしまいました。

観劇後に、一色伸幸さんが鬱を患っていた経験があることを知りました。ちょうど、洋平くんが輝と同い年くらいの頃に。そのことについて、あれこれ考察するつもりはないし、そもそも第三者か語る話ではないと思う。

というのも、高校生の頃に、大人にこんな話をされたことがあります。
「仲睦まじいと思っていた夫婦がいたが、旦那さんが治らない病にかかったあと、奥さんが家を出て行った。なんと薄情で愛のない人かと思った。」と。
私は、あなたこそなんと傲慢な人だと思いました。だって、ふたりの間のことなど、ふたりにしかわからないのに。奥さんが家を出て行かなきゃいけないような何かがあったのかもしれないのに。そのときに思いました。この人はこういう経験をしたことがないから、言えるのだろうなぁと。

ということもあり、もちろん、私も100%一色親子とまったく同じ経験をしたことはないから、理解できるなんて言わない。言えない。でも、すこしだけ重なる部分がある経験をしたことがあるので、勝手に共感をしてしまったのです。そして、こう思った。どうして、あんなに綺麗な言葉を紡げるのでしょう。冒頭でも書いたように、おふたりの言葉はとても綺麗なのです。人には理解できない苦労や悲しみや怒りや憎しみを時間と共に乗り越えても、私はあそこまで、関係のない第三者に美しい言葉を紡げない。まだ紡げない。もしかしたら「乗り越えたから」でも、「戻れたから」でも、ないのかもしれない。私の知らない時間を、誰も知らない時間がお二人の間にあったのでしょう。だからこそ、知らない第三者の私がこう思うのかもしれません。彼らの紡ぐ言葉は尊く美しいなぁと。

なんだかほとんど芝居の感想ではなくなってしまった…。