感想ノート

観劇の感想など。一部ネタバレしてます。

テニミュ3rd ルドルフ戦!!!

観ました!!!観ましたとも!!やっとね!!
千秋楽が初日というどこかの某演出家殿に怒られそうなことをしてしまいました。すみません…。そんな今の気持ちはとても清々しく、でも熱く燃え上がっています。こんなにたのしいものがあってうれしい。こんなにたのしいものに出会えてうれしい。まさにテニミュサイコーセイヤーです。

ここから先は箇条書きでいきます。
【前提】
3rdはきちんとキャストブログもチェックできていない初心者です。なので、みなさんには常識であろうことが、よくわかっていないかもしれません。まだ6代目のいたあの頃に心を置きっぱなしなのです…。

①橘さんが作った土台という話。

まずお芝居が、はなまる。(不動峰みんなはなまるだ。) これはもう理屈じゃなくて、こいつらが不動峰だ!と私の心が叫んでいた。みんなが同じイメージを共有して不動峰を作り上げているように見えて、それがすごく心地よかった。そして、その中心にきちんと部長である橘さんがいるんだと、カーテンコールの挨拶で伝わってきた。たった、2公演でチームをこの完成度まで持ってきたのだから、これから先も頻繁に出番を不動峰にあげてほしいと思った。(四天戦とかこれから出る機会もあるよね?)私は、今回のキャストさんのことよく知らないですが、シーズンの序盤に彼みたいなしっかりしたキャストさんがいたことで、いい土台ができたような気がする。同年代の同性の団体できちんと、できてないことを指摘できるのってすごい。自分がストイックじゃないとできないだろうし。


②本田れおまるはすごいという話。

彼はすごい。私のような者でも彼のすごさはわかった。テニミュの面白さ、リピーターの多さの一因にベンチワークがありますが、彼はきちんとそれがわかっている。一瞬も気を抜いてないし、スポットライトがあたってなくてもひとつひとつの仕草を丁寧に演じているのだ。しかもその中には原作にたしかに小さく描かれているコマも含まれているのだ。れおまるのことをよく知るためには、5回は観る必要があった!くやしい!山吹戦で最低でも5回は会いましょうね。


③お兄さんリョーマくんかと思いきや、とてもかわいいというお話。

ふと見せる笑顔を見るたびに、心があったかくなった…。ダンスもうまいし、歌声もとてもいい。演出的に仕方ないのだけど、ルドルフはちょっと不二先輩に持ってかれていたので、亜久津戦のある山吹に期待。


④メタ表現について思うこと。

開演前アナウンスから不二くんがテニミュって言ったこと。ステージに原作本があったこと。オープニングで漫画のイラストとキャラクターの対比演出があったこと。これらには大変驚きました。
なんとなくイメージなんですけど、1stが「テニプリを舞台で再現する」をテーマとしていて、2ndはいかにその「2.5次元ミュージカルをひとつの演劇のジャンルとして認めさせるか」をテーマにしていたように思う。それを踏まえて、2.5次元ミュージカルというジャンルが確立した上で、3rdは「テニミュを作る」がテーマな気がした。私は元来はメタ表現は苦手としていたんだけど(月並みだけど夢から覚めちゃうじゃん)、なんか今回観劇して、これからのテニミュはそれでもいいような気がしてきた。
というのも、普通の2.5次元ミュージカルから一線を画していき、同じストーリーを演出を変えて再演し続けていって、いうならばテニミュ歌劇団」を目指してるんじゃないかなと思って。今回、ルドルフちゃんたちは結構泣いていたけど(お稽古から大変だったのではないかと推察される)、私はスケジュール見る限り橘さんが言ってた「次があるから、不動峰公演の時は実感がわかなかった」という反応が自然のように思う。これって、少し今までと違う気がするんだ。大前提として本公演(大劇場公演)があって、その合間に少数メンバーでライブをする(小劇場公演)、このスケジュールを見る限り、なんだか宝塚に近い気がする。
だから、もしかして、今は永遠にテニミュを上演していくための、骨格作りをしているのかもしれないなぁと思うのです。その流れで、メタ表現が出たり、お見送りだったり(2ndもあったけど)、アンコールの曲がいろいろ混ざったり、いろんな挑戦しているのかもしれない。
そのうち、卒業メンバーでガラコンとかしたら楽しいなぁ。ほぼそのままのメイクと髪型なのに、衣装着て歌うとちゃんとキャラクターに見えちゃったりして、懐かしくて泣いちゃうかもしれないです。

なんだか感想というより考察になってしまった。もちろんルドルフちゃんもひたすら可愛くかっこよく、淳くんの写真を買った。加えてリョーマくんと不二くんの写真も買った。久しぶりにアルバムを買っていそいそと詰めた(笑)
とりあえず、そんな私の言いたいことは、クリスマスシーズンはテニミュと過ごしたい。テニミュサイコーセイヤー!です。


配達されたい私たち

「配達されたい私たち」観劇しました。
友人の影響もあり、一色洋平さんのお芝居は今年ほとんど見ている、気がする。とても礼儀正しく、使う言葉が綺麗な俳優さんで、私は彼の終演後の挨拶を聞くたびに身が引き締まる思いになります。なんて心の汚い人間なんだろう、己はと(笑)原作者であり洋平さんのお父様でもある一色伸幸さんもご挨拶されていましたが、それもまた素敵なご挨拶でした。話し方も穏やかで、聞き入っちゃいました。言葉を紡ぐお仕事をされている人は、紙の上でも声に出してもいい言葉を紡ぐのだなぁと思いました。

さて、まず言いたいことは、泣きました。ひたすらに泣きました。よくわからず泣いた場面も多いんだけど、笑子のお話はなんだか共感してしまい、ただ泣いた。彼女はとても私だった。日々からの逃げ場が必要なのも、たったひとりの友人の存在に救われていたのも、共感した。あと「男と繋がった女は輪郭が変わって、別の生き物になってしまう」という台詞とか(笑)とはいえ、彼女と「りっちゃん」の話はもっと違う大切なお話なのだけど。でも、この笑子というキャラクターがあまりにも等身大で、それって男性が書いてるお話では珍しいから、少し驚きました。この作品の泣き所は多分たくさんあるし、感動するところやこれからの教訓にするところもこの場面ではないんだと思うんだけど、私は改めて共感することによる自分の心の揺らめきほど大きいものはないと感じたので、この笑子のお話を、しかも「りっちゃん」を信じることのできなかったけど思い出を捨てることもできなかった姿を、好きな場面として挙げたいと思う。

あとひとつ残念だったことがあるとすれば。時系列が少しわかりにくかったかなぁ。本を読んでみましたが、本に掲載されてる順番の方がしっくりくるような気がした。冒頭に自殺のシーンを持ってくると、観客はまず疑問符から入ってしまうような。私は結構時系列がわからず混乱してしまいました。

観劇後に、一色伸幸さんが鬱を患っていた経験があることを知りました。ちょうど、洋平くんが輝と同い年くらいの頃に。そのことについて、あれこれ考察するつもりはないし、そもそも第三者か語る話ではないと思う。

というのも、高校生の頃に、大人にこんな話をされたことがあります。
「仲睦まじいと思っていた夫婦がいたが、旦那さんが治らない病にかかったあと、奥さんが家を出て行った。なんと薄情で愛のない人かと思った。」と。
私は、あなたこそなんと傲慢な人だと思いました。だって、ふたりの間のことなど、ふたりにしかわからないのに。奥さんが家を出て行かなきゃいけないような何かがあったのかもしれないのに。そのときに思いました。この人はこういう経験をしたことがないから、言えるのだろうなぁと。

ということもあり、もちろん、私も100%一色親子とまったく同じ経験をしたことはないから、理解できるなんて言わない。言えない。でも、すこしだけ重なる部分がある経験をしたことがあるので、勝手に共感をしてしまったのです。そして、こう思った。どうして、あんなに綺麗な言葉を紡げるのでしょう。冒頭でも書いたように、おふたりの言葉はとても綺麗なのです。人には理解できない苦労や悲しみや怒りや憎しみを時間と共に乗り越えても、私はあそこまで、関係のない第三者に美しい言葉を紡げない。まだ紡げない。もしかしたら「乗り越えたから」でも、「戻れたから」でも、ないのかもしれない。私の知らない時間を、誰も知らない時間がお二人の間にあったのでしょう。だからこそ、知らない第三者の私がこう思うのかもしれません。彼らの紡ぐ言葉は尊く美しいなぁと。

なんだかほとんど芝居の感想ではなくなってしまった…。

朝彦と夜彦

「朝彦と夜彦」観劇しました。

赤坂REDTHEATER、キャパがちいさいので、いつも観たい芝居は完売してて、初めて来ました。
まず、まわりが飲み屋さんばっかりで、目移りしてしまった。ご贔屓ちゃんのファン友達の方はみんなよく飲まれるので、ご贔屓ちゃんがこの劇場さんに出てくれたら、毎晩楽しいなぁと開演までずっと妄想してました。
ロビーも客席も雰囲気よかったです。きれい。ロビーが白くて、客席が黒いんだけど、それがすごくこの作品にぴったり。終演してぼんやりしながら、ロビーに出てきたとき、夜明けのような気分になって、ああ朝が来たなぁと。意図してるのかしてないのかはわからないけど、すごくいいチョイスだなぁと。
 
以下ネタバレ、かつ文章めちゃくちゃです。
 
朝彦と夜彦、ちなみに私が共感したのは、朝彦より夜彦。私も朝彦がうらやましいから。凡庸な幸せを夢見ることができることが、できない人にとっては何よりもうらやましいことだ。そういう、自分には手の届かないものを持っている人はとにかくまぶしい。まさに、夜彦にとって、朝彦は太陽だったんじゃないだろうか。鬱の人は太陽の光を浴びるとセロトニンが生成されて、気持ちが晴れると聞いたことあるのですが、まさにそれだったのではないかなぁ、なんて思いました。朝彦からしたら、そこまでの人間じゃないって気持ちになるかもしれないけど、夜彦にとっては本当にそういう存在だったんだと思う。
 
そういえば、なんどもふたりは名前が一文字違うだけ、出席番号が前後なだけと言っていて、繋がりはないのだと繰り返していた。他者の強調だったんだと思う。パンフレットでも、中屋敷さんは「親友だとしても、他人と完全に理解し合うなんてできない。」と書いてあった(はず)。それはすごく共感した。なかなか、1から10まで人のことを理解できない。そして、1か10をつけること、YESかNOで断定することなんてできない。だから、3で濁す。曖昧におともだちでいるほうが楽だから。だって、人のことはわからないもの。断定したら、そこで関係は終わるかもしれないじゃない。そして、他者をわからないと思うとき、やっぱり私以外は私じゃないんだと当たり前のことに改めて気付く。なんどもなんども。すぐ完全な理解をしたくて、求めて、忘れちゃって、何人かおともだちとやらをなくした。そのうち、私はある程度のことを諦めることにしたのだけど、それはそれでさみしく感じるときもあるのだ。
朝彦と夜彦も、たぶんお互いのことは一生理解できない。夜彦は朝彦の凡庸なしあわせを手に入れることはできないし、朝彦は夜彦の抱えてる闇を理解できることはないと思う。理解できないのに、それでもお互いがお互いのことを、その理解できないものがあるからこそ、その人なのだと認識して、その上でお互い10を求め合う姿は、すごくうつくしいものに見えた。それは、手が届かないからうつくしいのか、理想だからうつくしいのか、わからないけどうつくしくて、たぶん私がかつて求めたことのあるうつくしさだったように思う。
 
あと、丁寧に描かれていたのはすべては「表裏一体」ということ。生と死。善意と悪意。愛と憎しみ。一見反対に見えるもののすべてが、たぶん紙一重であるということ。誰より死にたかった夜彦が、本当に欲しかったのは生きる意味だったんだと思うんだけど、そんなありきたりな言葉では表現しきれないほどの感情を、死にたいという言葉に怯える夜彦から感じて、あのシーンは涙が溢れてしまった。生きる意味を見つけられず死んだ父しか知らない夜彦には、生きることは苦しいことだと認識していた。自分を愛してると言って死んだ父しか知らない夜彦には、愛は永遠に自分を守るものではないと認識していた。生きる楽しさや永遠の愛なんて知らないから、それを理解なんてできなかったと思う。そんな夜彦に、朝彦がくれたものは表面的には別に生きる楽しさでも永遠の愛でもなかったはず。死への誘いと裏切りだったはず。なのに、それが夜彦の心を変えたというのが、まさに表裏一体。夜彦はそのあと、憎しみを覚えて、30歳の誕生日まで生きるのだから。
 
さて、キャストさんですが、まずは桑野こうちゃん。私は、こうちゃんのことはかなり好きの部類の俳優さんで、案外よく観るんだけど、ここまで声が素敵なの気付いていなかったです。特に30歳の朝彦の低音が、とてもよかった。こうちゃんって童顔だと思うんだけど、疲れた30歳の表情もとてもよくて、どんどん魅力的になるなぁって思った。でも17歳の朝彦は本当に太陽なんだよなぁ。時折、未来に何も疑いのない朝彦がこわかったくらい。朝彦は別に天真爛漫なわけじゃなくて、結構本人は本人で悩んでるし、明るくもないんだけど、でも「普通」のラインにいるの。とにかく、「普通」だから、得体の知れないものに見えた。
褒めてばかりですが、敢えて突っ込むとしたら、少し噛みすぎかなぁ。せっかく声が素敵なので、噛むと地声に戻るのがもったいないなと。
 
法月くんのお芝居は初めてでした。(恋するブロードウェイは観たことある。) 想像以上でした。17歳の夜彦、30歳の夜彦、朝彦の妄想夜彦、全部違う夜彦なんです。時代の切り替わり、多分わかりにくいんですけど、夜彦の顔でわかる。全然ちがうから。個人的にいちばん好きなのは妄想夜彦です。妄想夜彦とは言ってるけど、あれが夜彦の願いなんじゃないかなぁ。すこやかに、あの頃と変わらず、太陽のような朝彦でいてほしいという。その場面で、光の中でニコニコしてる法月くんが、今にも消えそうで、なんだかとてもかなしかった。
 
しかし、あまりに、法月くんが儚いから、本当に夜彦は死なず、30歳の誕生日を迎えたんだよね?って、不安になってしまったよ。自殺エンドと生存エンドが平行世界にあって、自殺エンドのときが妄想夜彦で、朝彦は来なかったのに、それでも13年後の凡庸な幸せな世界で生きてる朝彦の幸せを願わずにいられずにいるんじゃないかって、ふと思ってしまった。もちろん、正規ルートは生存エンドで一緒に誕生日をお祝いするの。このときの夜彦はとても人間味があってじんわりする。朝彦が少しずつ、夜彦を暗闇から引っ張って、いまふたりでコーヒーを飲みながら朝焼けを見ているような、そんなやわらかさだった。(※妄想です)
 
最後に、演出の中屋敷さんはすごい。なんかこんな言葉で表現するのはアレなんですけど、「萌ポイント」が一緒だなって思いました。(すみません。)作品の、俳優の、とても綺麗なところを、すごく綺麗に見せてくださるなぁと。俺とお前の関ヶ原とか観に行きたかったんですが、行ってないんですよ〜。もったいなかったな。(え?Dステもやってた?…ふーん…笑)ツイッターで書いてたネタバレツイートを見ても、なんだかとても共感しました。我々には決められない関係性の儚さ…わかります…。
 
原作の菅野彰さんは、初めましてでした。とてもとても作品の雰囲気も好きで、文字を読んでみたいと思いました。調べて買ってみようと思います。エッセイも面白そう。ビールお好きなのかな?ドキドキ。
 
そんなわけで「朝彦と夜彦」を観劇して、久しぶりにぼんやり泣いて、帰ってもぼんやりして、お酒傾けて、文字をしたためるという経験をしました。そうすると、体がほんわかして、疲れがすーっとするんです。スケジュール調整して、もう1回観れるといいなぁ。

RENT

シアタークリエで「RENT」観劇しました。
お目当てはもちろん平間壮一くん(壮ちゃん)である。
元々、彼のことはとても好きで、どこが好きかというと、いちばんは醸し出す雰囲気だろうか。可愛らしくかっこよく、そしてミステリアス。そんな彼がエンジェルを演ると聞いて、とても楽しみにしていたのだ。

とはいえ、私はRENTという作品は今回が初見である。なので、エンジェルも壮ちゃんが初めてのエンジェルだ。つまりよく知らない。
エンジェルはその名の通り天使のような人だよと元々RENTが大好きな人に聞いていたが、観たら結構印象が変わった。壮ちゃん演じるエンジェルは決して聖人ではないように見えたのだ。でも、誰より人に対して愛情深く見えた。この世界は汚れていて、生きにくいとわかっているから、彼の綺麗な言葉や優しさは、偽善じゃなくて、人の心に届くんだなぁって。
ビジュアル面(お衣装)では女装も可愛かったし、青いダウンのお衣装も幼く見えて素敵だったけど、パジャマ姿が印象的だった。ふらふらしながら下着姿になって、コリンズにパジャマに着替えさせてもらう場面が、もうなんとも言えず儚くてうつくしかった。着替えを手伝うって心許し合わないとできないはず。着飾ったものをすべて脱ぎ捨てる姿から、コリンズとエンジェルがどれだけ深い部分でつながりあってるかわかって、とてもうつくしい。そのあと、終わりが近いことを勘付いてるふたりが確かめ合うように抱き合うのがとてもせつない。
この場面はロジャーとミミがラブソングを歌っている脇で、あんまりスポットライトも当たってないところで繰り広げられてるんだけど、うつくしすぎて、せつなすぎて、あちらこちらから聞こえてくるすすり泣きは、きっとエンジェルとコリンズに対してなんじゃないかなって思った。もちろん、私も号泣だった。
あと、彼が出ると観客の雰囲気が変わるのを感じた。みんながエンジェルの登場を待ちわびていたように感じて、身震いしました。
壮ちゃんが化けたなぁとレディベス以後本当に感じていたんだけど、また一皮向けた感じ。次は地球ゴージャスなんだけど、本音はもっと外部で観たいかな。

ほかのキャストで心に残ってるのは、まずソニンちゃん。RENTの登場人物って、正直私には、正直何に悩んでるのか、何にもがいているのかよくわかんないんだけど(これは日本とアメリカの文化の違いとかもあるんだと思う)、それでもソニンちゃんの苛立ちや焦燥感はすんなり心に入ってきた。共感さえ覚えた。ジョアンヌとこれが私なのよ!わかって!と歌いまくるところが好きだ。すごく気持ちわかるんだもん。

あと、村井くんはいつも期待を裏切らず、しかもさらに上を来てくれるんだけど、今回のマークも本当にそれでした。なんというか、何を演じてもぴったりだなぁって思って帰るんだよね。すごいよなぁ。

そんなわけで圧倒されまくりの3時間で、歌もとてもいいし、とても楽しめました!が、それと同時に多分これはRENTファンのためのRENTなのではと感じた。元々、すごくファンの人の呼称があるような作品なのは知ってて、客層もリピーターが多いだろうとは思っていたんだけど、実際観てみて置いてかれることがしばしばだった。今、観劇を終えて、いろんなサイトとかで話やバックボーン、キャラクターについて調べてて、なるほどね〜。あのシーンはこうだったのね〜。と思うんだけど、それってどうなんだろう?いろんな芝居で思うけど、もう少し初見の人にも優しくお願いします。
そのほかの感じる違和感は、多分文化の違い。そこを埋めてくれるとわかりやすいけど、そうするとパワーが足らなくなっちゃうかもしれないし、このままでいいのかな、なんて思ったり。

なにはともあれ、すごく刺激的な舞台で圧倒されました。また上演されるときは、ぜひとも観劇したいです。とりあえず、借りた映画版のCDをウォークマンに落として聴きます。

と、ここまで観た日(10/8)に書いて、止まっていたのですが、じわじわとハマっている。しょっちゅう曲聴いてる。日本語版も出ればいいのに。RENTファンの皆さんもこうやってハマっていったのだろうか…。
特にテーマ曲(だと認識している)のSeasons Of Love が好きです、やっぱり。歌詞もすごい心に刺さるものがある。


Five hundred twenty five thousand six hundred minutes
52万5600のこのときを
Five hundred twenty five thousand six hundred minutes
どう数える一年を

夜明け、夕暮れ、真夜中、
コーヒーの数、
笑いや、争いの数で


とても辛いことがあった日、これを聴きながら電車に乗って泣いてしまった。本当にさ 、どう数えよう。何で数えられるんだろうって真剣に考えた。数えるものによって1年の印象がぐるっと変わるんだろうな。
今年はなんだか駆け抜けるように終わりそうで、もったいない。あんまり観劇もできなかった。マッサージの数のほうが、たぶん多かった。来年はチケットの数で数えたいな。できれば、推しのチケットの数で。早く帰ってきてくれ。

実はこの歌の詞は、愛で数えてみようと続く。最初聴いたときは、愛かよ!となり、数えられるか!と思った。でも、チケットも愛だし、遠征の数も愛だなぁと思い始めた。そうなってくると、一番くじを引いた回数も愛だし、アニ◯イトのポイントの数も愛かもしれない。私が、大切にしているものや好きなものは、みんな愛だと思うことにしよう。そう考えるとこの1年も愛に溢れていたように思える。そして、ちょっと気が早いけど、来年もたくさんの愛に溢れますように。




Dステ映画祭「TRUMP」

先日、早起きして観てきました。
Dステ映画祭「TRUMP」。
学生生活最後の冬に、何度もサンシャイン劇場に足を運び、大阪にも飛んだ思い出の作品です。
入場者特典で、クリアファイルもらえて嬉しかったです。

あらすじは、DVDにもなってるし、秋にブルシアターで演るみたいなので割愛。DVDはいつとのように買っておきながら、きちんと見てないんですけど、本編のほか、D2の本音トークや稽古場風景等が入っていたはずなので、オススメです。みんなの誕生日をお祝いしてるところとか、可愛かった記憶があります。映画館でも売ってました。

本編に入る前に、配役のクレジットが流れる親切設計。この作品は役替わりありなので、だいたい役替わりコンビで2人ずつクレジットされるのですが、役の性質上、私の推しだけ単体クレジットだったので、大変かっこよく、得した気分に。字面だけで号泣させていただきました。名前だけで泣かせるとは、さすがだなぁ。天才。世界一。

ところで、私は普段はオペグラでついつい推しカメラしちゃう人なので、各キャラのここぞという場面のアップが観れるという意味では、映像の記録ってアリだなぁと今更思いました。きちんとDVDも観よう…。
あとストーリーの動きを強制的に追えるので、今さら気付いたこといっぱいありました。ソフィが最初に見てる夢って、reverseの冒頭のシーンなんですね。これ、みなさんお気付きだったんでしょうか…。

最初に見たときから、あくっちゃんのラファエロがとても好きだったのですが、改めて見てもよかったです。あくっちゃんは、我々に近い感覚をお持ちなので、かっこいい角度とかわかってるなぁと思う。「我は守護者なり」とか「お前がいちゃだめなんだよ!」あたりの目がとても狂気じみてていい。あくっちゃんラファエロと、みっちゃんウルはなんだか狂気的で好きだった。狂気的というと言葉は悪いけど、普段からこちらの想像以上のファンへの愛を見せてくださるおふたり。どうかご無理なきよう…。

あつのジョルジュも好き。あつだと滑っても面白いのはなんでだろう。あつがあくっちゃんラファエロを笑わせられた時のしてやったり顔が本当に可愛かった記憶があります。
日替わりは内輪ネタになりやすいですが、そんなに内輪ネタでもなく、間延びもせず、100連発は大成功だったのではないでしょうか。

アレンのぶーちゃんは、アップで観ると記憶の中の数倍まっすぐすぎて怖かった。目がいつも周りのひとを見ていないんだもん。ピエトロのこともクラウスのことも見えてない。かといって、メリーベルを見てる感じでもなくて。きっと、星を見ていたのだろうなぁ。欲を言うなら、私にはなんでクラウスがアレンに惹かれてるのかがイマイチわからない。あの自由なところに惹かれたのだろうか。

わからないといえば、たぶんバンリとピエトロは生まれ変わりかなんかなんだろうけど、あのふたりのつながりも描かれていると、理解力の低い私でさえ感情移入しやすいかもしれない。(鈴の音=猫と気付くまでに2公演かかるような人間なのだ)

ダリ様は何度拝見してもあの衣装がかっこよくてときめく。出番は多くないけど、「本心は違うけど立場上はこう言わないといけない」芝居が、かみつるくんはとてもうまいと思う。だから、ラファエロやウルが暴走するときに、なぜお父様の立場をわかってくださらないのかとせつなくなる。しかし、なぜダリ様は、人間との間に子供を作ったのか妄想が広がるなぁといつも思う。認知しなくてもいいでしょうに認知したのだから、愛し愛され生まれてきた子がウルなのでしょうなぁ。

そんなわけで、話し始めると止まらないくらいには、思い入れのあるTRUMP。懐かしき我がクラン。ソフィの冒頭のセリフにあるように、あの頃は私も、目の前にあるすべてが変わることなく続いて行くと疑いもしていなかった。D2も、あの人も。過ぎた日々は戻ってこないし、今更帰りたいとも思わないけど、あの日々は色褪せることなく、私の心に残り続けると思う。今はもうここにはない、愛おしい私たちのD2。

雪組「星逢一夜」



夏休みを無理やりとりまして、宝塚大劇場まで足を運び、雪組「星逢一夜」を観劇しました。壮さんトップ時代から、和物の雪組復活ということで、和物が増えた雪組。ちぎみゆの大劇場二作目も和物だった。(ちなみに、博多座公演も和物だし、次もるろ剣ということだが、私はぜひとも咲妃嬢のヒラヒラフリフリが観たいため、若干不満ではあるが。)

あらすじ(公式より)
時は江戸中期、徳川吉宗の治世。とある藩で起きた叛乱を背景に、藩主の子息、天野晴興(あまのはるおき)と身分なき娘、泉(せん)の恋を、烈しく哀切に描きだす。
江戸から遠く離れた九州の緑深き里、山々に囲まれた三日月藩の小さな空を見上げ、天文学に夢中になる少年晴興(幼名 紀之介(きのすけ))は、里の娘、泉やその幼馴染の源太と一緒に星観(ほしみ)の櫓(やぐら)を組みあげて、星探しに明け暮れる日々。晴興は、二人と身分を超えて友情を育むが、少年時代が終わりを告げるころ、別れは突然訪れる。遠い江戸で将軍吉宗に伺候することになった晴興。晴興を思い続ける泉と、泉に心寄せる源太。彼らには思うままにならぬ運命が待ち受けていた。大人になった三人の関係は、巡る星々のもと、目に見えぬ力によって変貌させられて……。
江戸での晴興の躍進は、はからずも三日月の領民らの困窮を招いてゆく。ついに起きた叛乱の中で、晴興と泉、源太の愛は、哀しく鮮烈な軌跡を描いて、破局へと向かい始める。

一言でいえば悲恋でした。
藩主の息子の紀之介と平民の泉は、惹かれ合い想い合うがお互いの立場ゆえに共に生きることはできず、泉は幼なじみの源太と結婚する。(つまり、ルパンに引き続きまたしてもちぎみゆはくっつかないのだ。)
そして、紀之介と源太もまたお互いの立場ゆえに戦いあうことになるのである。

紀之介のちぎちゃんは、とにかく美しく、物語序盤はこんなに美しいのに、方言出まくりでとにかく愛おしい。かわいい。そして、だからこそ、綺麗な江戸ことばしか使わないのが、切なくて仕方がない。話し方の違いが、彼は地位と名誉と引き換えに、大切なものを手放さねばならねばならなかったと、ありありと実感させられる。
まあ、正直にいうと最後源太を殺しておいて、将軍の元にも戻らず、藩も離れるというのはいかがなものかと思った。お前がいなくなったら、この藩を誰が守るのだ。信念があるから源太を斬ったのではないのか。と。しかし、ちぎちゃんの無理やり作ったかのような笑顔を観たらそんな感情は吹き飛ぶのだ。伯爵令嬢のときも思ったが(かなり俺様で勝手でコリンヌを手に入れるくだりは誘拐に近い)、どんなに行動に辻褄があってないように見えても、なぜかちぎちゃんが演ると納得させられるのである。

泉の咲妃みゆちゃんにはとにかく圧倒された。おさげの田舎娘から二児の母まで、幅広い年齢を演じ分ける。たぶん、彼女はおばあちゃんも演れる。ラストシーンは、冒頭同様に子供時代の回想になる。私はここでとにかくぼろぼろに泣いた素晴らしいラストなのだが、ここがおばあちゃんになった泉でもいいと思った。
ちなみに、前述の通りヒロインであるものの、トップとも結ばれず、二番手とも死別する役なので、宝塚の娘役としてはあまりいい役ではないかもしれない。大劇場お披露目のマリーアントワネットに続き、不遇と言われてもおかしくない役続きのような気もする。でも、そう思わせない力が咲妃みゆにはある。咲妃みゆが演じれば、どんな役だってヒロインなのだ。

源太のだいもんはかっこよすぎる。嫁にしてくれ。
肝心なところでは亭主関白なんだけど、偉そうではなくて素敵。私はごちそうがない代わりにとお湯で足を拭いてくれる泉に、ごちそうさまって言うシーンがお気に入りだ。
紀之介との一騎打ちのシーンは、紀之介のことをよくわかっているからこそ、ああいう道を選んだのではないかなぁと思った。村のみんなのことも、紀之介のことも守って死ぬのが、優しすぎる。あと、発する言葉は想いとは逆なのだろうと思わせるだいもんすごい。
源太はすごくおいしい役で、ほとんどの観客は源太に惚れて帰ると思うのだが、あんなにも源太をおいしい役にしたのは、やっぱりだいもんが強くかっこいいからだと思う。アルカポネのときも思ったが、とにかく頼り甲斐のあう役が似合うのだ。いや、カリストロ伯爵は結構ダメな男だったか…。ヘタレもできるとはだいもん最強である。

ハッピーエンドではなかった。でも、バッドエンドなわけでもないのだ。誰も間違ったことはしていないし、誰も己の不幸を呪ってはいない。だからこそ、冒頭のラストの子供たちのシーンが切なく響いた。大人になるというのはかくも苦しいものである。